2014年2月17日月曜日

ある日突然降って湧いたカンボジアで「ロボコン」!?=その3 (11)~(15)

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●こんなパーツがカンボジアでは揃わない(写真提供:筆者、以下同)


JB Press 2014.02.17(月)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39934

ロボコンのパーツ調達、タイへのSOSは繋がるか遂に八方ふさがり。
でも可能性を棄ててはいけない
カンボジアでロボコン!?(11)

 カンボジアの第1回大学対抗ロボットコンテスト(以下、ロボコン)の開催予定日は3月29日。
 しかし、参加学生たちが使用するパーツが到着する気配が全くない。

 もう別の手立てを考えないと間に合わないということで、ロボコン開催のためにいろいろ力を貸してくれているタイのテレビ局MCOTに協力を仰ぎ、タイでパーツを調達しようと考えた。

 しかし、どうもタイは日本よりも遠いようだ。
 というのは、昨年から始まったタイの反政府デモは、総選挙に向けてますます激化。
 そのため、私が所属するJICAでは、既に治安上の理由で公務による出張は見送りとなっていたが、遂に私費渡航も禁止となってしまったのだ。

■日程延期か決行か、緊急会議も行き詰まる

 私費渡航の禁止が出るまさにその前日、私はMCOTのジョッキーさんに、SOSのメールを送っていた。
 「日本から参加者用のパーツが届かない。タイで調達できないか」
と。

 そしてその翌日の午後、一緒にロボコンの運営をしている德田さんと平松さん、国営テレビ局の副局長でロボコンのチーフプロデューサーである”松平の殿様”、そして運営委員会で各大学を束ね、我々との橋渡し役をしてくれている日本語通訳であり事業家でもあるカンボジア人、サムナンさんが集まり、細かいコンテストまでの段取りを確認する会議を開く予定になっていた。

 しかし、図らずも、これが緊急会議になってしまったのである。

 この会議に先立ち、私は、平松さんと德田さんに、このままパーツの遅延が続いた場合、参加できるのかどうかを大学側に内々に打診してほしいとお願いしていた。

 ところが、平松さんはこう言ったのだ。

 「労働訓練省傘下のPPI(プレアコソマ総合工科専門学校)、NTTI(国立技術訓練専門学校)、NPIC(カンボジア国立工科専門学校)の3校は、3月末から4月にかけて試験がある。
 その試験勉強と学校側の準備は通常1カ月前から行われるため、パーツの到着が遅れたら、ロボット制作の指導をこれ以上続けるわけにはいかない。
 このままだと開催予定の3月29日には参加できないと言っている。
 先生たちは試験の準備があるから、タイでパーツが調達できたとしても取りに行っている暇はないと言っている」

 え!? 単純に大会の1カ月前にパーツが揃っていればなんとかなるというわけではなかったの?

 さすがの私も言葉を失ってしまった。
 3校が参加できないとなると、日程延期を考えなければいけない。

 しかし、このまま延期しますといって、寄付金や広告料を出してくださった企業や個人の方々にはどう説明するのだ?

 「スポンサーや寄付してくれた人に対する責任があるから予定通り開催すべきだ」
 「いや、参加大学の確保の方が大事だから延期するしかない」

 それぞれの立場で意見が分かれた。
 しかし、余りにも判断するには情報がなさすぎる。
 私にも今は判断できない。
 だけど、本当にこのまま決めていいのかという怒りに似た気持ちはあった。

■何度も綱渡りを経験したテレビ人の魂に火がついた

 私が日本でやってきたテレビ制作の仕事は
 「どんなことをしても締め切りを守る」
というものだった。

 だから、1時間のドキュメンタリーを放送日までたった3週間とか、30分のドキュメンタリーを2週間で、といった発注でも、本当に綱渡りのようにスケジュールを組みながら寝ないで番組を仕上げてきた。

 放送の5時間前に、著作権の関係で使用していた映像が使えないという連絡が突然来て、オンエアの数分前まで差し替え作業していたこともあったのだ。

 釈然としないまま
 「私が判断します。時間をください」
と言って、その日は散会ということにした。

 それからずっと自分に問いかけた。
 こんなことで延期していいのか? 
 ここはカンボジアだからって諦めていいのか? 
 もちろん、延期の決断も勇気のいることで、決して諦めた結果というわけではないだろう。

 しかし、ならば私たちは可能性を模索したか?
  自分たちができることを遮二無二探ってみたのか?
  そんな努力もしないで決めるなんて、延期するにしても、決行するにしても、プロの仕事とは言えないのではないか?

 だから・・・絶対に諦めない。諦めてはいけない。

 そこで私は、ノートに確認事項を書き出した。

 タイでパーツが調達できたとしたら、そこからカンボジアに到着するまでに最短で何日か。そもそもそういう運送会社はあるのか。
 パーツを調達するお金をどうするか。
 今集まっている寄付金からパーツを調達するとして、一体何組揃えられるか。

 このまま決行するとしたら、労働訓練省傘下以外の大学やチームは参加できるのか。
 この状態で決行する可能性はないのか。
 延期するとして、いつならすべてのチームが参加可能なのか。

 延期を考えるのは、これらが全部分かってからだ。
 そう頭を整理すると、これらを一つひとつ潰していくことにした。

■ホコリまみれで駆けずり回り、眠れない夜を過ごしていると・・・

 まず、平松さん、德田さんのお2人には、各大学に、いつまでにパーツが届けば予定通り参加できるのか、延期するとしたらいつがいいのかを急いで聞いてもらうことにした。

 そして、バンコクで購入するパーツのリストを作ってもらうように平松さんにお願いした。
 日本で調達するのとは、メーカー名もパーツの名前も違うからだ。

 さらにカンボジアで事業をやっているサムナンさんにお願いして、最も早く届くと思われる運送会社を探してもらい、会社を訪ねて、直接話を聞いた。
 そして、バンコクからプノンペンまで通関を含めて3日で届くという運送会社が見つかった。

 MCOTにはすぐにこの状況をメールで報告して、こう書いた。

 「予定通り2月中旬に私がそちらに行かないと前には進まないだろう。
 それまでにパーツがバンコクで揃うかどうか可能性を探ってほしい。
 できるなら、私が行った時にパーツを購入できるのが理想だ。
 パーツリストはでき次第送る」
と。

 さらに、私はJICAに頼み込んだ。

 「とにかく、予定通りバンコクに行けないと恐らくパーツが間に合わない。
 パーツが間に合わないとロボコンは延期せざるを得なくなる。
 これだけ企業や個人に寄付金や広告料をいただいているのに、何もできないから延期しますとは言えません」
と。

 何もかもが揃っている日本でなら、どうということもないのだが、これだけ確認するにも、いちいち出向いて面と向かってでないと確実なことは何一つないカンボジアだ。

 電話やメールでは埒が明かないので、結局丸一日トゥクトゥク(三輪タクシー)で、乾季の熱風の中ホコリまみれになりながらプノンペンの端から端まで確認のため動きまわり、ようやくアパートにたどり着いたが、夜半になっても全く眠れない。すると・・・

 ジョッキーさんからメールが入った。

 「こちらのロボコンで入賞した学生たちは、どこでどんなパーツが売られているか知っている。
 すぐに彼らを集めて手を打つから、パーツリストを送ってください。
 そして、とにかくバンコクにいらっしゃい。
 バンコクは選挙が終わって治安は安定している。
 大丈夫とJICAに伝えてください」
と!

 翌々日、ようやく平松さんが完成させてくださったパーツリストをMCOTに送り終え、各大学に連絡を取り、2月中旬から下旬の間にパーツが到着すれば現状通り参加が可能との確認が取れた。

 JICAの安全基準からも渡航可能との判断が下り、私の案件は真に必要な業務とのことで、公務による予定通りのバンコク出張が認められた。
 とにかく、何とか一歩だけ寄り戻した、という感じだ。

 そしてバンコク出発前日。
 ジョッキーさんからメールが入った。

 「リストは見ました。
 大方揃うとタイのロボコンのインストラクターたちも言っています。
 なくても、同じ機能のパーツを一緒に探してくれますから心配なく。
 明日は局のバンを用意します。
 インストラクターがお店に一緒に行ってパーツ購入の手伝いをするように手配しました。
 心配しないでいらっしゃい」

 やはり、頼りになる男ジョッキーさんである。
 そして希望は繋がった。
 いざ、バンコクへ!



JB Press 2014.02.24(月)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39993

タイ人は走りながら考える?
日本人も舌を巻く学生たちの情報収集能力
時間勝負のパーツ購入に“ロボコン三銃士”が大活躍
カンボジアでロボコン!?(12)

 カンボジア初の大学対抗ロボットコンテスト(以下、ロボコン)が、あと1カ月少々にまで迫ったところで、ようやく繋がったバンコクでの制作用パーツ調達への道。

 出発前日、万一の場合に備え、出発便を朝一番の便に変更した。
 パーツを調達するのはそんなに容易なはずがない。
 一分一秒でも長くバンコクに滞在してパーツを探す時間を作ろうと思ったのだ。

 すべての出発準備が前日に持ち越しとなり、結局深夜まで準備をしていたら、1時近くにジョッキーさんからメールが入った。

 「このメールを出発までに読むかどうか分からないが、明朝は10時頃バンで迎えに行くから、ホテルに到着したら電話をください」
と。

 ジョッキーさんもこんな深夜まで頑張っているのだ。
 しかも、翌日金曜日はタイの祝日で土日を合わせれば3連休なのである。
 その休みをつぶしても、我々のために嫌な顔一つせず働いてくれているジョッキーさんには、本当にいくら感謝しても足りないくらいだ。

 3時間後、一睡もせずにそのまま空港に向かい、一路バンコクへ。

■いざ、合計1350個のパーツ購入へ

 バンコク・スワナブーム空港からBTS(モノレール)に乗って市内に向かう。
 窓越しに見る風景は、すでに乾季の後半を思わせ、空には厚い雲が垂れこめていた。

 朝10時過ぎにホテルに到着すると、約束通り、ジョッキーさんはアシスタントの女性ニンさんを伴ってホテルにやって来た。
 12月のMCOTでの打ち合わせ以来、2カ月ぶりの再会である。
 2人とも変わらぬ笑顔で私を迎えてくれた。

 そして、用意されたMCOTのバンに乗り込むと、そこで待っていたのは、タイ・ロボコンの入賞チーム。

 いかにもリーダー然としたしっかり者のプイ、メガネをかけて知的な感じのチャック、そしてちょっと太めでおちゃめなバードの3人組の男子学生たちだ。ニコニコしてとても感じが良い3人に、私は密かに「ロボコン三銃士」と名づけた。


●ロボコン三銃士の面々。左からチャック、プイ、バード(写真提供:筆者、以下同)

 そして、英語が話せない3人に代わって、ジョッキーさんが説明する。

 「今日は祝日なので、市内のパーツを売っている大きな店が休みです。
 だからちょっと郊外のお店を何軒か回れば揃うと彼らは言っていますよ」
と、私が送ったパーツリストを見せた。

 そこには、それぞれの項目にタイ語で店の名前らしきものが新たに記入されていた。
 約束通り、ちゃんと下調べをしてくれていたのだ。

 街の中心から郊外に出るのに、バンコク名物の渋滞にはまり車は遅々として進まない。
 その間私は自分のiPadで、カンボジア・ロボコン参加大学が既に作り始めているロボットや作業の様子を見せた。
 皆とても興味を持った様子だった。

 特にジョッキーさんは、「ここまでもう作業しているのか」と感慨深そうだった。
 しかし、このiPadの写真が後に功を奏するとは、この時私は予想もしていなかったのである。

 ようやく2時間近くを経て到着したのは、秋葉原によくある大きな家電デパートのようなビル。
 そこに入りエスカレーターを上ると、大きなフロア全体がすべて「パーツ」売り場になっている。

 早速、パーツ購入開始といきたいところだが、その前に私にはやることがある。

 パーツリストには、前回、参加大学の指導用にインターネットで注文したときの単価を入れておいた。
 45項目にわたるパーツ30組の合計総額3000ドルが、私たちが今出せるギリギリの予算だ。

 だからもし予想よりも一つひとつの単価が高いとなると、購入するパーツのセット数を減らさなければならないのだ。

 すると・・・何と、最初の3~4品は我々の予想金額をはるかに下回っている。
 すべてのパーツの値段をチェックしたわけではないので確定的なことは言えないが、恐らくこれならば30組購入しても問題ないだろう。

■ロボコン三銃士の驚くべきフォーメーションプレー

 ということで、パーツ購入の開始である。
 購入しなければならないパーツは全部で45種類。
 しかも、こちらが希望する30組ずつ揃っていなければならない。
 1つの店で数が揃わなければ、次の店に行かなければならないのである。
 まさに、ここからは時間との勝負になる。


●店でパーツを探すジョッキーさんとバード

 すると、ロボコン三銃士の3人が別々に行動を開始した。
 リーダーのプイはジョッキーさんと行動を共にし、ジョッキーさんの指示でパーツを購入。
 太めのバードは私と共にパーツを購入、ニンさんがバードと私の間の通訳だ。

 そしてチャックは、この2組とは別に先遣隊として次の売り場を歩きまわり、どこにどんなパーツがあるかを確認して、プイとバードの組を次の売り場、次の売り場へとリードしていくのである。

 見事なフォーメーション! 
 さすが、タイ・ロボコンの入賞チームである。
 そのチームワークによって、予想以上のスピードでパーツを購入していく。

 しかし、同じ名前で似たような形状にもかかわらず、わずかな違いがあるパーツは、さすがの三銃士も分からない。すると・・・

 「ジュンコ、iPad」
とプイが言う。


●スマートフォンを駆使して街角でパーツ情報を集める3人

 そうなのだ。
 先ほどiPadで見せた、指導用ロボットの写真を彼らは覚えていたのである。
 そしてそれを拡大して、一つひとつのパーツを確認していく。

 それでも分からないとなると、自らのスマートフォンでパーツを検索して、形状を写真のものと比較し、確実に同じ形のものを選んでゆく。
 彼らの情報収集能力は驚くべきものだった。

 さらに、パーツリストに書いてある名前だけでは不明だったパーツは、急遽日本にいる平松さん宛に写真を送り、スカイプで確認して無事に購入。

 まずは1軒目の店で15種類あまりのパーツをゲット! 
 次は近くの中華街に行くと言う。
 渋滞を避けるために、徒歩で15分ほど移動し近くの中華街へ。

 そこは恐らく横浜の中華街よりも2~3倍は広そうな場所。
 店幅1間程度の狭い長屋風パーツ店がびっしりと軒を連ね、狭い路地の間にもこれでもかとパーツをぎっしりと積んだ屋台が無秩序に立ち並ぶ。
 その間を無数の客たちが、肩をぶつけ合いながら足早に通り過ぎる。

 既にチャックは先遣隊として、当たりをつけた店にパーツがあるかどうかを確認に出ている。

 プイとバードは、スマートフォンでチャックと連絡を取りながら、急ぎ足で我々を先導。
 迷路のような中華街を、またまたスマートフォンと見事なチームワークで手際よく回り、2時間近くで次々とパーツを購入。

 気づくと午後3時半を過ぎていて、屋台で遅めの昼食を取りながら、リストを確認してみると・・・なんと、残りはあと1つである。

 「ジョッキーさん、あと1つですよ!」
と私がびっくりして言うと、ジョッキーさんはいつもの笑みを浮かべて言う。
 「ええ、あと1つです」

 驚いた。実質の買い物時間はたったの3時間半。
 しかし、ジョッキーさんが言うには、
 「店は5時まで、だから時間はないのです。
 次の店はちょっと遠いからすぐに出ましょう」
とのこと。

 ということで、旺盛な食欲の三銃士たちは、大盛り2皿ずつの美味しい屋台メシを平らげ、残り1つのパーツを購入するため、中華街を後にして最後の店へ。

■「数が足りない!」最後のパーツ購入で黄信号点灯

 渋滞による時間のロスを避けるために、ここからはバンではなく、トゥクトゥク(三輪タクシー)2台に分乗しての移動となった。
 さながら、バンコクの熱風にさらされながらのエキサイティングなお買い物ゲーム。
 制限時間まではあとわずかだ。

 トゥクトゥクでも渋滞にはまりながら、ようやく最後の店に辿り着いたのは午後4時45分。
 ここですべてが揃うのである!

 ところが、三銃士たちが店の人となにやら話していたかと思うと、ふいにチャックが店を飛び出してゆく。
 何があったのかとジョッキーさんに聞くと、ジョッキーさんはこう言った。

 「ここには17個しかパーツがないんだそうです」

 えっ、最後の最後に来て、数が足りない? 
 焦る私にジョッキーさんが言う。

 「大丈夫。今チャックがこのパーツがある店を探しているから」

 プイとバードはまたまたスマートフォンで検索を始めていた。
 すでに時計は5時を過ぎている。
 ここで揃わなかったら、この店に仕入れが入ってから、ジョッキーさんたちに送ってもらうしかないな・・・と思ったその時である。

 チャックが走って戻ってきた。そして何やらジョッキーさんに耳打ちすると、ジョッキーさんは、私にこう言い残して走り去った。

 「ちょっとここで待っててください。私が先に行ってきます」

 何があったのだろうか? 
 言葉も地理も分からない私には、待つことしかできない。
 そして待つこと10分。

 めずらしくジョッキーさんは走って戻ってきた。
 「ありました。行きましょう!」
 我々全員も次の店に駆け足で向かう。
 またまた迷路のような路地を通りぬけ、辿り着いた店で、何やら店の人と話したジョッキーさんは私にこう言った。

 「ここにあった15個のパーツを別の人が買おうとしていたのです。
 それをチャックが見つけて、そのお客に交渉して、我々に譲ってもらうことにしたんですよ」
と。


●ミッション完了。最高のチームワークを誇るタイ・ロボコンチームとMCOTの2人

 何と! チャックの機転で最大の危機を免れたのだ。
 ふと時計を見ると5時15分。
 私がタイに到着してからたった10時間で45種類×30組のパーツが揃ったのだ。

 そして、もう1つの心配の種であったバンコクからプノンペンへの輸送だが、気づいてみればパーツの総重量は15キロ程度。
 これなら私のスーツケースで運べるほどの容量である。

 間に合った、間に合ったのだ!
 一度は無理と諦めかけたパーツが今、私の手にある。

 ロボコン三銃士のスマートフォンを駆使した情報収集能力とチームワーク、そしてニンさんのコーディネイト力、何より、ジョッキーさんがこの三銃士を選んだ眼力、完璧な準備とそして判断が、この作戦を成功へと導いたのだ。

 すべてが終わって、ジョッキーさんは言ってくれた。
 「これで、私たちはチームですよ」
と。

 涙が出るほど嬉しい言葉だった。
 カンボジアでロボコンをやろうと思って、タイの人々にまで心の通う仕事をしてもらった。
 昨日から一睡もしていないけれど、その充実感と感謝の気持ちで疲労を感じることもない。

 ジョッキーさんはじめロボコン三銃士との再会を誓い、翌日、パーツとともに私はプノンペンへと戻ってきた。
 さあ、カンボジア・ロボコン本番まで残すところあと1カ月ちょっと。
 ようやくスタートラインである。ここからが本当の勝負になるのだ。



JB Press 2014.03.03(月)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40054

また一つ日本発の文化がアジアの若者に伝わった!
試作ロボットの公開デモでわかったこと
カンボジアでロボコン!?(13)

 第1回カンボジア大学対抗ロボットコンテスト(以下、ロボコン)まであと1カ月。
 参加者のための制作用パーツもタイで調達に成功し、無事参加者たちに配られた。
 後は、参加学生たちがロボットを作り上げるのを待つばかりである。

■人気の文化交流イベントで試作機をお披露目することになったが・・・

 ところで、ここプノンペンでは2011年の震災以来、「日本・カンボジア絆フェスティバル」という日本大使館とCJCC(カンボジア日本人材開発センター)共催の大きなイベントが、震災翌年の2月から毎年行われている。

 日本とカンボジアの文化交流を目的としていて、カンボジアと日本のアーティストが競演するポップコンサートやクラシックコンサート、コスプレショー、日本の武道などの紹介から、プノンペンで活躍する日本人シェフによる料理対決ショーなど、様々なイベントが4日間にわたって行われ、昨年はなんと入場者が8000人を超えたのだという。
 娯楽の少ないカンボジアでは、このイベントを心待ちにしている人も多いと聞く。

 その「日本・カンボジア絆フェスティバル」に各参加大学から代表チームを出してもらい、ロボコンのデモンストレーションを行うことになった。

 とにかく、ここカンボジアでロボコンを知っている人はほとんどいない。
 だからまずは「ロボコンとは何か」を知ってもらい、興味を持ってもらうには、目の前で動いているロボットを見せることが一番の早道だと思ったのだ。

 大会の運営を行うことも、もちろん大事だが、その大会を盛り上げ、大会を放送する番組をより多くの人に見てもらうことも、プロデューサーとしての大きな役割だ。
 だから先週はパーツの調達にタイに行ったが、今週は広報のための「日本・カンボジア絆フェスティバル」参加の準備なのである。

 まあ、プロデューサーというのは、名前はカッコイイけれど、企画からお金を集めるための営業、カネ勘定、スタッフ編成、スケジューリング、広報、制作・・・そして今回はパーツ集めと運び屋も・・・と、要するに1つのイベントを成立させ、それを成功させるための「何でも屋」なんである。

 ということで、デモをやるにあたって、不安なことは2つあった。

 パーツの到着が大幅に遅れていたので、曲がりなりにも動くロボットが1つでも2つでも完成しているのかどうか、ということ。

 そして、もう1つは、たとえ参加校からのロボットが揃ったとしても、それは単純な「ライン・フォロワー」のロボットである。
 黒い競技盤の上に描かれた白い曲線をロボットがセンサーで感知してただただ走っているだけのものだ。

 特に今回のデモはその速さを競うわけではなく、ただ制作途中のロボットを走らせて見せるだけ。
 そんなものがお客さんにとって面白いのか、ということ。


●少しずつ形が異なる各参加大学のロボット(写真提供:筆者、以下特記のないものは同様)

 とりあえず、1つ目の不安はタイから戻ってきて、運営チームの平松さん、德田さんの尽力ですぐに確認が取れ、出場大学4校から計10チームの参加が得られた。
 しかし、2つ目がどうにも不安である。

 それで、いろいろ考えた挙句、私はNHKに連絡を取った。

 私たちカンボジア・ロボコンが最終的に目指す、アジア太平洋放送連盟(以下ABU)主催のアジア各国の代表が競うロボコンとは一体どんなものなのか。
 映像で紹介すれば、参加学生もお客さんもロボコンに興味を持ってくれるのでは、と考えたのだ。

 著作権の問題や、カンボジアが正式にABUロボコンに参加していないなどの理由があるにもかかわらず、NHKの担当者の尽力により、特別に今回のデモ時のみ映像の使用が認められた。

 そこで私は、既に参加校のうちロボット作りの過程を取材させてもらったITC(カンボジア工科大学)とNTTI(国立技術訓練専門学校)の映像を加えたカンボジア・ロボコンのビデオを、NHKから許可を取った映像につなげて、当日、デモの前に見てもらうことにした。

 しかし、もっと不安だったのは、そもそも当日お客さんがロボコンのブースに来てくれるかどうかだった。
 ロボコンブースは他のブースから離れた場所で、しかも唯一2階の部屋だったからだ。

■満員御礼、観客の熱気に沸く会場

 「日本・カンボジア絆フェスティバル」当日──。

 デモが始まる30分前から部屋に用意した客席はあっという間に埋まってしまい、既に立ち見が出るほどだった。
 席を埋めていたのは半分が参加学生とその友達、残りはカンボジア在住の日本人と一般の若いカンボジア人が半々だった。


●会場には大勢の観客が詰めかけた

 お手伝いに来てくれた海外青年協力隊がお客さんを呼び込んでくれた成果であろう。
 恐らく開始時間には100人近く観客が集まったようだった。

 そして、クメール語が堪能な海外青年協力隊の浅水くんと、英語が堪能な山口さんの進行で、デモはスタート。

 まず、ABUロボコンのハイライトビデオを上映。
 皆食い入るようにスクリーンを見つめていた。
 各国の代表チームが思わぬ失敗をしてしまうシーンでは溜息が漏れたり、笑い声が起こったりする。
 本当にABUの会場で見ているかのような反応だった。

そして・・・

 ABUロボコンのハイライトの後に、私はこんなテロップを入れておいた。
 「カンボジアはなんで参加してないの?」
 「さあ、カンボジア・ロボコンをスタートさせて、カンボジアの代表をABUに送り込もう!」

 すると・・・

 会場中から熱狂的な大拍手が巻き起こった!

 続くITCとNTTIでのロボット制作過程の映像では、またまた拍手が続く。
 これまでずっと映像を制作して視聴者に提供してきた私としては、こんな熱狂的な反応は嬉しい限りだ。
 まずは、ロボットのデモ前に観客はじめ参加学生の興味を掻き立て、彼らの気持ちは掴めたようだ。


●ロボットの動きを真剣に見つめる観客たち

 そして、いよいよ各参加大学の代表チームが作ったロボットのデモンストレーションのスタートである。

 2.4メートル×1.2メートルの練習用ライン・フォロワー競技盤の周りの、より近い場所でロボットを見てもらいたいと德田さんが観客を促すと、皆我先にと競技盤に走り寄ってきた。
 観客の数は開始当初より増えているように見える。

 まずはPPI(プレアコソマ工科総合専門学校)のロボットがスタート。
 2台のロボットがただ競技盤の白いラインに沿って走っているだけなのだが、観客や学生はスマートフォンで写真や動画を撮ったりし、飽きずに眺めている。

 好奇心に満ちた視線が注がれて、部屋中ものすごい熱気だ。
 盤から遠い観客たちは椅子の上に立ち上がりのぞいている。

■ロボコンがカンボジアにもたらすもの

 続く、NTTI、ITC、NPIC(カンボジア国立工科専門学校)のデモンストレーション。
 同じパーツで作ったはずなのに、形状も違えば、走り方もそれぞれだ。
 走行が早いチームもあるが、正確性に欠けている。
 速さに劣っても、確実にラインをフォローして、ゴールへはむしろ早く着くロボットもある。

 なるほど・・・。これは面白い!

 変な話だが、私自身ロボコンのプロデュースに駆けずり回ってきたが、それはロボコンそのものが持っている面白さを確認していく過程でもあった。

 参加大学で学生たちがロボットの指導を受けている様子を見ては、学生たちと同じようにモノづくりの楽しさを目の当たりにして、私自身が楽しみ、そしてロボットが盤上を動けば、一緒にワクワクした。

 恐らく、私が感じてきたのと同じことを学生も、観客も今感じているのだろう。
 学生たちは生き生きとし、観客も実に楽しそうだった。
 それぞれの参加学生たちはお互いに情報を交換しているのか、いろいろロボットについて話をしている。

 すると、このロボコンをずっと応援してきてくださったプノンペン在住の日本人の方からこんな言葉をいただいた。
 「カンボジアの学生がこんなに楽しそうに1つのことに集中しているのを初めて見ました。
 これはスゴイですよ」
と。


●学生同士でロボットについての情報交換も始まった(撮影:青木有紀子)

 そうなのだ。私たちは待っていた。
 カンボジアの若者たちがこんなふうにキラキラと好奇心に満ちた目で何かを見つめ、楽しそうに、そして熱心に何かを語り合う姿を。

 この時、もっともっとこのロボコンは面白くなる、と私は確信した。

 今、目の前で各参加大学のロボットが示しているのは、それぞれの大学やチームの個性だ。
 同じパーツなのに、ロボットの動かし方の細部や、制御の仕方のアプローチが少しずつ違う。
 それによって、目の前のロボットがまるで生き物のように、個性を持っている。

 個性──。
 そう個性こそ、カンボジアの人たちがこれから自分たちの手で得ていくもの。
 それはカンボジア人たち自身で作り上げていくもの。
 誰かから指示されてその手本通りに作るのではなくて、自分たちで「考えて」「悩んで」作り上げていく、自分たちだけのもの。
 その先にこそ、自分たちに対する「自信」が生まれてくるのだ。

 ガンバレ! 
 ロボットたち。
 ガンバレ! 
 カンボジアの学生たち。

 と、カンボジアの学生たちのやる気に心打たれたのも束の間、このデモが終わるとすぐに、タイの公共放送局MCOTのジョッキーさんたちが、第1弾のロボコンの運営指導にやって来る。

 ジョッキーさんからは前回のパーツ調達以来全く連絡がない。
 ジョッキーさんたちが何をどうするつもりなのか分からない・・・。
 うーん、まだまだロボコンへの波乱の道は続くのである。



JB Press 2014.03.10(月)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40104

カンボジアとタイの心の壁を消したロボコンの精神アジア・ロボコンの先達が伝えたこと
カンボジアでロボコン!?(14)

  第1回大学対抗カンボジアロボットコンテスト(以下、ロボコン)まで、残すところ1カ月余りに迫った2月24日の朝。
 私は、アシスタントのラシーを伴って、プノンペン国際空港に向かった。
 そう、あのタイの放送局MCOTのジョッキーさんとニンさんがここ、プノンペンにやって来るのである!

 カンボジアの関係者の中でロボコンを知っているのは、国営テレビ局の副局長である“松平の殿様”だけと言っていい。
 しかし、“殿様”と私を含め誰もその制作・運営に携わったことがあるわけではないから、本当のところはどんなことが起こり得るのか、全く想像がつかない。

 ジョッキーさんは、アジア太平洋放送連合(以下ABU)が主催するアジア地域のロボコンがスタートした2002年からもう10年以上、タイの国内大会と、ABUロボコンに携わっている。
 だから、大会運営とテレビ番組の制作の仕方について、知り尽くしていると言っても過言ではない(ABUとABUロボコンについては連載第2回参照)。

 今回の訪問で、これから先1カ月間でどのような準備をすればよいか、きっと私たちの気づかないいろいろなことをアドバイスしてくれるものと期待していた。

■タイとカンボジアが「近くて遠い国」である理由

 ジョッキーさんたちを乗せた飛行機が到着して程なく、彼らは入国審査を終えて、到着出口からいつものにこやかな笑顔で登場。
 バンコクでのロボット制作用パーツ調達以来、1週間ぶりの再会である。

 空港からホテルに向かう道すがら興味深そうに町並みを見つめる2人。
 聞けば、彼らがプノンペンにやって来るのは初めてなのだと言う。
 バンコクからプノンペンは直線距離にして600キロ余り、東京−大阪間よりわずかに遠いぐらいだ。
 それなのに、2国の間には目に見えない壁がある。

 歴史的な問題もあり、カンボジアはASEAN諸国の中で、経済的に最も脆弱な国の1つだ。
 一方のタイは、ASEAN諸国内の「大国」である。
 さらにカンボジアとタイの間には国境紛争が絶えない時期が長くあった。

 だから、カンボジアの人々が、タイの人々に100%友好的な感情を持っているわけではなさそうなのは、私も感じていた。

 そうしたタイ人から、ロボコンの指導を受けることに対して、カンボジア人がどう感じるのかが、私にとっては少なからぬ懸念材料ではあった。
 しかし、私が伴ったアシスタントのラシーは、2人と本当に楽しそうに会話している。
 特に、ジョッキーさんは、初めて会った人の心を捉えてしまう、得も言われぬ親近感と安心感がある。
 それは恐らく彼がテレビプロデューサーとして持っている資質と、本来の人間性の両方から来るものなのだろう。

 私がパーツ調達の相談をしようと思ったのも、ハノイで初めて会い、その後バンコクで打ち合わせをした、たったそれだけだが、この人なら信頼できるという直感からだった。

ジョッキーさんの言葉で分かってきた「ロボコンの本質」


●カンボジア国営テレビ局(TVK)にやって来たジョッキーさんとニンさん(写真提供:筆者、以下特記のないものは同様)

 まずは、我が国営テレビ局に向かう。
 「番組」としてのロボコンをどう作り上げるかの基本的なミーティングを、“殿様”はじめ、ディレクターや番組のMC(司会)、スタッフたちとするためである。


 最初に私が今回のカンボジア・ロボコンのルール、参加大学やチーム数などを簡単に説明、そして、ジョッキーさんにロボコンを番組として制作するにあたって大切なポイントを話してもらうことにした。

 開口一番、ジョッキーさんはこう言った。

 「皆さん、このロボコンの主役は誰でしょう。
 ロボットですか? 
 ルールですか? 
 大学の先生たち? 
 それとも主催者? 
 政府関係のゲスト? 
 いいえ、主役は参加する学生たちです。
 学生たちがこのロボコンという宇宙の中心にいるのです」

 「しかも、勝った学生が主役じゃない。
 負けた学生が主役です。
 勝った学生には、当然ながら、みんなが賞賛を送ります。
 だから、勝った学生に番組がフォーカスを当てる必要はありません。
 番組は負けた学生にこそ注目するのです」

 そう言って、MCのアナウンサーに向かってこう続けた。

 「ですから、例えばあなたはそれぞれのマッチが終わった時に、勝った学生にインタビューする必要はありません。
 負けた学生にマイクを向けましょう。
 そして、彼らが負けたのは悔しい。
 悔しいけれど、ロボットを作るのは楽しい。
 そして来年も是非挑戦しようと思わせること、それが一番大事です」

 なるほど・・・。これには、私も思わず頷いていた。

 カンボジア人の一般的な傾向として、人前で恥をかくことを極端に嫌う。
 だから、うまくやりたい、勝ちたい、という気持ちが強い。

 だが、ロボコンは勝つことが目的ではなくて、楽しむことが大事なのだ、と私たちは彼らに言い続けてきた。
 でも、彼らにはコンテストという勝負を「楽しむ」という感覚がなかなか理解できず、私たちの意図するところがうまく伝わらなかったのだ。

 しかし、ジョッキーさんの言葉には長年大会の運営と番組作りで得てきた経験に基づく力強い説得力があった。
 皆、真剣な表情でジョッキーさんの話に聞き入っていた。


●カンボジア・ロボコン会場となるTVKのスタジオを視察

 さらに、ジョッキーさんが力説したのは、コンテストの内容を一回きりの勝負にせず、2回戦にし、しかもそれは勝ち抜き形式ではなく、全員に2度のチャンスを与えようということだった。

 その理由は、
 「学生たちは恐らく何日も寝ないでロボットを作ってくる。
 その学生たちが一度の失敗で失格となったら、ロボコンに出場したことが単に悔しい思い出となってしまうから」
というものだった。

 これは、私も目からウロコであった。
 それまで私はコンテストの収録時間のことばかり考えていた。
 時間のことから考えると30チームの出場で3時間の収録が限度だと考えていた。
 だから一度きりの勝負しかできないと頭から決めていたのである。

 学生たちの気持ちを考えていなかった・・・。

 それは、私にとって大きな反省だった。
 ジョッキーさんの言葉は、参加する学生たちに対する「愛」にあふれていた。
 そして、それはロボコンそのものへの愛情だ。

 そうなのだ。
 こうした主催者側の深い愛情が参加する学生やロボコンを育て、タイをアジアのロボコン大会での常勝国へと引き上げてきたのである。

 私はその時ようやくロボコンの本質が少し見えた気がした。

■不服そうだったカンボジア人教員の表情が大きく変わる

 そして翌日。
 ジョッキーさんたちを伴い、今度は参加大学の1つであるPPI(プレアコソマ工科総合専門学校)に向かった。
 PPIはじめ、NTTI(国立技術訓練専門学校)、NPIC(カンボジア国立工科専門学校)、ITC(カンボジア工科大学)の4つの参加大学の指導教員たちが一堂に会して、我々を待ち受けていた。


●ロボコン参加大学の指導者との打ち合わせ(撮影:Kith Borasy)

 冒頭に私がジョッキーさんとニンさんを紹介し、この2人と、さらにタイ・ロボコンの主催者である大学教授、入賞学生、そしてその指導教員が、3月29日のコンテスト前からコンテストにかけて来訪し、その準備と運営の指導をしてくれることになった、と説明した。

 まず、ITCの指導教員がこう口火を切った。

 「いや、もっと早く来てもらえないか。
 大会の2週間前ぐらいに来て、どうか学生たちにロボットをどう作ればいいか教えてくれないか」
 すると、ジョッキーさんは即座にこう答えた。

 「いや、それはダメです」

 いぶかしげな表情の面々に、ジョッキーさんはいつもの笑みを絶やさずにこう続けた。
 「我々が大会に向けて指導したら、学生たちのアイデアをつぶすことになる」

 それでもまだ不服そうな教員たちに、ジョッキーさんはこう言った。

 「ロボコンで大事なのは、参加する学生たちが自分で考えて、自分で壁にぶちあたること。
 どうしてもそれが解決できない時だけ、私たちは手を差し伸べればいいのです。
 そして、その経験を学生同士で共有する、それがロボコンという場です。
 ロボコンで勝利することが大事なのではなくて、そういう経験を共有することが一番大事なのです」

 とジョッキーさんは言って、私の方を向いた。

 「ジュンコ、どうだろう。
 だったら、大会翌日の3月30日に、参加学生全員が参加するワークショップを開かないか? 
 そこで、参加した学生たちが自分たちのロボット制作の過程を共有して、より良いロボットを作るためのアドバイスをタイ・ロボコンの入賞学生がする、という場にするというのはどうだろう」

 素晴しい提案だった!

●学生たちが作ったロボットを見入るジョッキーさん

 つまり、コンテストに向けた努力がコンテストで終了するのではなく、次のコンテストにつなげるワークショップを開催する。
 皆が「次」のために自分の経験を共有する場をコンテスト翌日に設定する。
 これこそ、ロボコンとは何かを、理屈ではなく体感できる運営に他ならない。

 指導教員たちも、ジョッキーさんの提案に全員が賛成した。
 この頃から指導教員たちの表情がどんどん変わってきた。

 恐らく彼らもロボコンとは何かということが理屈ではなく理解できたのだろう。
 気づけば、これまでずっと受け身だった教員たちが積極的に自分たちの考えや意見を言い始めていた。

 ジョッキーさんのマジックだ。
 彼の参加学生に対する「愛」が、カンボジアの人々にも伝わったのである。

■ロボコンが結ぶカンボジア、タイ、そして日本

 こうしてジョッキーさんとニンさんの1回目のカンボジア来訪は終了。
 わずか3日間の短い滞在だったが、本当に大きく深いものを我々に残してくれた。

 そして、その日の最終便で帰国の途に就くその時、ずっと私とともにアテンドしてくれていたアシスタントのラシーに、私は空港までの見送りは帰宅が遅くなるから帰っていいと告げた。


●TVKのオフィスで歓談するジョッキーさん(右)、ラシー(中)とニンさん(左)

 彼女はジョッキーさんらの滞在期間中、担当している毎朝6時半からの生放送のニュース番組を終え、それからあれこれと手配をし、一緒にアテンドしてくれていた。

 だから彼女には相当疲労がたまっていると想像できたが、そんなことを微塵も見せずに笑顔を絶やさずに行動を共にしてくれていたのだ。

 しかし、いつも穏やかなラシーは、私の言葉に珍しく、こう言った。

 「ジュンコ、いやです。
 送りに行かせてください。
 私は送りに行きたい!」

 そして彼女はこう続けた。

 「私はロボコンの担当になった当初、ロボコンが何か全然分からなかった。
 今回こうしてお2人のアテンドをして、いろいろ話を聞いて、ロボコンの素晴らしさも分かったし、ロボコンをカンボジアで開けることを本当に楽しみにしている。
 今回ご一緒できたことがとても嬉しい」
と。

 カンボジア人とタイ人の間の見えない壁が、私の唯一の心配だった。
 しかし、それも杞憂だったようだ。

 3月の再会を約束して、ジョッキーさんとニンさんは機上の人となった。

 さあ、いよいよ、カンボジア人とタイ人、そして日本人で作り上げる第1回カンボジア・ロボコン本番まであとひと月!




JB Press 2014.03.17(月)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40154

目指せ! 脱「誰かが決めてくれるのを待つ」習性
残り20日で垣間見えた小さな変化

~カンボジアでロボコン!?(15)


 第1回大学対抗カンボジア・ロボットコンテスト(以下「ロボコン」)まで、この原稿を書いている時点であと20日である。
 あと20日・・・となって、ようやくバタバタと動き出した感がある。

 特に、タイの公共放送局MCOTのジョッキーさんとニンさんとの打ち合わせ以降(前回参照)、ロボコン本番に向けて確実に前に進んでいる。

■進行台本、番組のセット・・・具体的に進み始めた準備

 まず、我が国営テレビ局では、ロボコンまでにどんな美術(いわゆる、番組に必要なセット、大道具、小道具など)を揃えなければいけないか、明確に分かってきた。

 例えば、会場となるスタジオ裏には、参加する学生たちのためのピットを設けなければならない。
 ピットとは、学生たちがロボットの最後の調整をしたり、バッテリーをチャージしたりする場所だ。
 そこに、参加チーム数分のテーブルと電源タップを用意しなければならないのだ。


●ロボコンに向け、国営テレビ局による学生たちへの取材も快調(写真提供:筆者、以下同)

 ところが、ここカンボジアでは、そういう事務用のテーブルやデスクというのは、同じものがなかなか揃わない。

 日本のように大きなホームセンターがあるわけでもなく、小さな商店の軒先に並ぶのは海外から輸入している既成品や中古品である。
 だから、それを参加チーム分揃えるというのは結構大変なのだ。

 事務用のテーブル一つ取ってもそうなのである。
 とにかく、参加チーム分、いろいろなものを揃えようとすると、同じものが1つの店や業者ではなかなか揃わない。

 そのため、国営テレビ局の副局長である“松平の殿様”はいろいろ試行錯誤しているらしく、そのたびに、
 「ジュンコさん、この間揃えると言っていたテーブル、やっぱりダメでした。
 こんな形なら恐らく全部揃うんですが、どうでしょう?」
と私に聞いてくる。

 正直、ピットだからカメラで映すわけでなし、テーブルなんて全部同じものである必要はないと思っているので、何でもいいと思っているのだが、どうもそういうわけにはいかないらしいのだ。
 「きちんと、体裁が整っていること」に、殿様はいつもこだわるのである。

 さらに、私はジョッキーさんが残していってくれたロボコンの進行リストを基に、まず叩きの進行台本を作ってみた。
 それを殿様がチェックし、開会式や閉会式をどうカンボジアの様式に従って変えていくかを検討。

 さらに、政府要人は誰を呼ぶか、どのランクの人が来たら、どのように式典を整えるかなど、カンボジアにとっては大事な作業があるのである。
 そのことを、幸いなことに殿様は一つひとつ細かく私に相談してくれる。
 だから、私にも、日本人は気付かないがカンボジア人にとっては重要なこと、大切にすることが見えてくる。

 つまり、ロボコンの骨組みを理解したカンボジアの人々が、ここからどうやって「カンボジア・ロボコン」にしていくか、ということが始まりつつあるのだ。

■縦割り社会のカンボジア、コンテストのルール作りは難題?

 そして、「カンボジア・ロボコン」にするために最も重要なのは、コンテストのルールを決めることだ。

 それは参加するそれぞれの大学が話し合って決める──コンテストの運営側である大学を束ねて指導している平松さんは、一貫して最初からそう主張していた。

 そもそもアジア太平洋放送連合(以下ABU)が主催のアジアのロボコンでは、詳細なルールや使用するパーツなどが予め決められている。
 しかし、今回のカンボジア・ロボコンは第1回目。
 しかも、盤上の白い線をロボットのセンサーが感知して走り、その速さを競うライン・フォロワー・ロボットという極めてシンプルなもの。

 だからこそ、彼らに自分たちのロボコンであるという意識を持ってもらうためには、ルールを自分たちで決めることが重要だと平松さんは考えていたのだ。

 パーツも各校に配られ、「日本・カンボジア絆フェスティバル」でのデモンストレーションで練習盤での試走が終了し、MCOTから説明を受けてロボコンを理解した今なら、ルールについての話し合いができるはず、と各校の指導教員たちに再び集まってもらった。


●参加大学が集まってルール会議が行われた

 極めてシンプルなライン・フォロワー・ロボットとはいえ、決めなければならないことは山ほどある。

 例えば、ゴールは何をもってゴールとするのか、ゴールラインで止まらなければいけないのか、それともゴールラインを過ぎればよいのか。

 速いロボットもいれば遅いロボットもいる。
 その場合は、1台あたりの制限時間を設けるのか、設けるとすれば何分なのか、準備時間は何分に設定するのか。

 途中でコースアウトしたロボットや止まってしまったロボットにやり直しは認めるのか、レフェリーはどうするのか、タイムキーパーはどうするのか。

 各校の出場チーム数は最終的にいつ決めるのか、出場チーム数そのものに制限を設けるのか、などなど・・・。

 各学校にすれば、既に学生を集めて自分たちのルール解釈でロボットを作り始めているのだ。
★.(最新の学生たちのロボット制作の模様はこちら)。
https://www.facebook.com/photo.php?v=724404837593130&set=vb.647052058661742&type=2&theater

 だから、勝ちにこだわれば自分たちの解釈しているルールに決めてほしいと思うし、学生への愛情から今参加している学生たちは全員出場させたいと主張する。

 参加大学間の利害関係だけではない。
 ロボコンを「コンテスト」として運営する大学側と、「イベント」として運営する我が国営テレビ局との利害関係だって存在する。

 やみくもに多くのチームを参加させても、我々としては時間も予定通りにならなくなるし、それだけのピットスペースを用意はできない。
 そういう様々な利害の対立をどうやって乗り越えて、ロボコンを作り上げてゆくか。
 実は、この作業がカンボジアでは意外と難しい。

 以前にも紹介したが(「カンボジアってそういうところ」は迷路の入り口)、カンボジアの社会は日本以上に「縦割り」である。
 たいがいの物事は、この縦割りの中で行われ、命令系統がはっきりとしている上意下達の世界である。
 だから、一般のカンボジア人は「上からのお達し」を待つという傾向があると、私は思う。

 一方で、今回のように縦割りを超えた「横」のつながりで、上意下達ではなく、コンセンサスを取りながら物事を進めていくという経験がほとんどない。
 従って、主張することは主張するのだが、何となく「誰かが決めてくれるのを待っている」傾向があるように思う。


●着々とロボット作りを進める参加校の1つNPIC(カンボジア国立工科専門学校)

 すると、平松さんは、彼らに1枚の紙を配った。
 そこには、「作業分担表」が書かれていて、何をどの大学がリードして、責任を持って取りまとめるかが表に書かれていた。

 「皆さん、これは皆さんのロボコンなんですから、私たちがこうしなさい、とは言いません。
 だからそれぞれのリーダー校が取りまとめて、以上の項目を決めてください」

 平松さんの言葉に、各大学の教員たちは「え?」という表情だった。
 お互い顔を見合わせ、明らかに戸惑っている様子だった。
 そして、しばしクメール語で話し合っている。

 そこで、私は彼らにこう言った。

 「決めるのは皆さんですが、当日までにテレビ局としてもやらなければいけないことがたくさんあります。
 例えば、参加人数とチームが決まらないと、私たちは皆さんに配るゼッケンも作れない。
 制限時間が決まらないと収録スケジュールも決まらないし、ゲストでやって来た政府の要人を大幅に待たせることにもなりかねない」

 「つまり、ルールを決めることはコンテストだけではなく、全体の運営に関わってくるのです。
 だからそれぞれの案件を決める締め切りだけ私が決めます。
 その締め切りをリーダー校がきちんと守って取りまとめてください」
と言って、締切日を発表。

 彼らもようやく納得の表情になった。
 上意下達ではなく横のつながりで、物事を動かしてゆくには、参加する一人ひとりが全体を俯瞰できる能力が必要なのだ。
 それを少しでも彼らが理解してくれたなら嬉しいと思いながら、その日の会議は終了した。

■カンボジア人の「やる気」が見えてきた


●コンテストと同じサイズの競技盤でロボットを走らせるNPICの学生たち

 その翌日──。

 MCOTのジョッキーさんが提案した、コンテスト翌日に開催するワークショップの場所がどうしても見つからない。

 そもそも、このワークショップは「コンテスト」を運営する大学側のためのもので、「イベント」を運営している国営テレビ局のためのものではない。

 だから国営テレビ局側が、例えば情報省内の会議室などを提供するというものでもない。
 なるべく中立性のある場所を選ぼうとしているのだが、学生含め100人ほどの人間が収容できる場所が見つからない。

 そこで、各大学にメールでこう呼びかけた。

 「30日のワークショップの場所を提供してくれる大学はありませんか?
 100人以上の人間を収容できるレクチャールームか会議室を朝から夕方まで使用させてもらうのは、日曜日ですし難しいでしょうが、もし提供してくれるのであれば大変嬉しいです」
と。

 すると・・・

 4校の参加大学のうち、3校の指導教員から「うちで用意ができる」と返事が来た。

 ある大学からは、提供はできるけれどエアコンがついていない。
 それでもよければ喜んで使ってほしいとのメールが、なんと夜半近くに届いた。

 カンボジア人は働かないと言う人がいる。
 かく言う私だってそう思ってはいる。
 しかも彼ら大学の教員にとって、ロボコン参加は業務ではない。
 それなのに、この時間にメールが来た。
 それをどう解釈すればいいのだろう。

 ロボコンが彼らのものになっているのだろうか?

 そうであることを私は信じたい。
 そして、彼らを信じながら一緒に走っていこう。
 ロボコン本番まであと20日!



<続きは下記で>
【ある日突然降って湧いたカンボジアで「ロボコン」!?=その4 (16)~(20)】

※本連載の内容は筆者個人の見解に基づくもので、筆者が所属するJICAの見解ではありません。

金廣 純子 Junko Kanehiro
慶應義塾大学文学部卒後、テレビ制作会社テレビマンユニオン参加。「世界・ふしぎ発見!」の番組スタート時から制作スタッフとして番組に関わり、その後、フリー、数社のテレビ制作会社を経てMBS/TBS「情熱大陸」、CX/関西テレビ「SMAP☓SMAP」、NHK「NHKハイビジョン特集」、BSTBS「超・人」など、主にドキュメンタリー番組をプロデューサーとして500本以上プロデュース。
2011年、英国国立レスター大学にてGlobalization & Communicationsで修士号取得。2012年より2年間の予定でJICAシニアボランティアとしてカンボジア国営テレビ局にてテレビ番組制作アドバイザーとして、テレビ制作のスキルをカンボジア人スタッフに指導中。クメール語が全くわからないため、とんでもない勘違いやあり得ないコニュニケーションギャップと格闘中…。2014年3月にカンボジア初の「ロボコン」開催を目指して東奔西走の日々。


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